Diversity推進の話の中で、特に重要なInclusion(受容性)の概念

最近、喩え話として「転校生」の話をしています。

自分が転校の経験がある、あるいは、転校生の往来が多いと、転校生にも優しくできる。(帰国子女というだけでいじめられていた時代もありました! )

同様に、ビジネスパーソンも自身の転職や異動の経験でアウェイ感
がわかる人、あるいは流動性の高い組織、では自ずとマレビト(違う種類の人)へのInclusiveness (受容性)を持てるというものです。

私は女性の活躍推進の議論で「前倒しのキャリア開発による小さな実績と自己肯定感の蓄積」を提唱しています。その際、上司や同僚、そして本人も、このアウェイ感を経験したことがあるか、違うものを受け入れられる度量があるか、ということが、多様性推進、多様性の受容できる組織設計上、非常に重要だな、と思っています。

活躍や実践の場を勝ち取る努力法=「機会開発」と「人脈」と「自由」。

ここでいう「人脈」とは「活躍の機会」を創りだしてくれる仲間のこと。そしてこの人脈貯金は複利で増加。しかも、人脈貯金が一定量になると、活躍の機会の種類がグンと一層(レイヤー)上昇します。1階上のドアが開く感じ。

しかし、この「活躍の機会」の獲得や実践すらも手段。人脈貯金の究極の目的は、私は「自由の獲得」ではないかと思っています。

自由、は「自らに由(よ)る」と読みますが、
自らの使命、ミッション、「あぁ、私はこれをやるために生を受けたのだな」と思えるもの、のことです。

自らの使命、マイミッション、に気づくための実践の「機会」であり、機会を提供してくれたり、自分を想起してくれる仲間が「人脈」。人脈貯金がたまってレイヤーがあがると、自分の想定を超えるような活躍の機会が舞い込み、「あぁ、これこそが自分がやるべき仕事だったんだな」と思えるような機会がやってくることがあります。


寝食を忘れてでもやりたいこと。逆境を報酬とすら思えるような仕事。それこそが「自由」。故にこれは、天から降ってくるものではなく、目の前の仕事を必死で行うことと、機会開発の努力をすること、の中から、自ずと沸き上がってくるものではないかと思うのです。

最近、「自分の適性がわからない」「自分の志が見つけられない」というキャリア迷子、志(こころざし)迷子の方に、遭遇してしまうことが多いので、ここに自分の考えをまとめておきたいと思った次第です。

131118Blog修正.jpg
131118Blog2修正.jpg

日本の成長戦略、特にベンチャー企業創出・育成の課題の話の際に 、若者のアントレプレナーシップ不足傾向の話をする方がいるが、何だかピンと来ない。ましてやアントレプレナー教育の話はもっとである。

BEYOND Tomorrowなどで現役の被災地出身の大学生や高校生に触れていると、彼らは可能性に満ちているし、夢や意欲を持っている。

もちろん、以下のようなことはよくある。

・アンテナやインプットの量が少なく視野が狭い
・自分の可能性に気づけていない
・夢を言語化できていない…

しかしながら、これは「アントレプレナーシップ」の欠如ではないと思う。


アントレプレナーシップの芽をつぶしているのは、周囲の大人の「 善かれと思ってのブレーキ的一言」=「あなたには無理」「もっと 堅実に」「もっと現実的に」「みんなと同じに」…

こういった一言が、周囲に「可能性を信じて見守る」大人がいる若 者との間に「機会の格差」を生んでいる。即ち、アントレプレナー シップ教育が必要なのは、若者ではなく、「若者の周囲にいる大人 なのではないだろうか。そもそもアントレプレナーシップは教育 で育まれるものではなく、カッコいい大人のロールモデルや、当事 者としての原体験から生まれるものではないだろうか。

今の若者は、SNSや動画配信など、自分から発信できるメディア を沢山保有している。そのうえ、時代はマルチステークホルダーへ の対応が必要で、カリスマ型の権威によるリーダーシップではなく 
水平型のリーダーシップがどんどん有効になっている。

もちろん本質的にリーダーシップを発揮しようとすると、権力を上 手く巻き込んだり、人脈を駆使したりといった「大人のチエ」は必要。しかしながら、そこに行くまでに泡と消えてしまっている可能性が沢山あるような気がしてならないのである。

年金がもらえる可能性が非常に低い今の10代、20代の定年は75歳くらいだとすると、職業人生50年。50年先の「安定」「堅実」なんて、今いる大人の誰も保証はできないと思う。

だったら、
若いうちに挑戦して、可能性を伸ばしたり、自己肯定感を得たり、する旅を応援できる大人がもっと増えることが、この話の近道なのではないかなと思う。若いうちの失敗は大事に至らないし、むしろ人生の糧となるのではないだろうか。

131022ブログ用修正後.jpg


一過性でなく持続性のある形で変革を起こすために、変革のための同志=フォロワーをどう形成していくか。

平時で、しかも業績が良い状態での変革は本当に難易度が高い。

顧客重視は重要なのだが、目の前の顧客重視の美名こそが、真の顧客重視のための変革の阻害要因になってしまうことすらある。多くの企業の変革において、この「顧客重視」という言葉の解像度をどこまで高められるか、が重要な分岐点になっている。

フォロワー形成の方法には早道も正解もないのだが、以下のようなことが非常に重要になる。

・理念と理念の背景となる哲学の言語化
・誰からどんな順番でフォロワー層を形成していくかのフォロワー形成戦略の構築
 (1人めのフォロワー発掘や臨界点想定)
・その理念の使命感と日々の仕事を結びつけるようなストーリー(or 事例)

本日もこのフォロワー形成のコミュニケーション戦略構築の講演とワークショップを実施したのだが、上記に加えて圧倒的に重要なのは…

・経営トップの変革に対する覚悟と情熱とそれに対する愚直なコミュニケーション

これが、圧倒的なレベル感で求められる。


経営幹部合宿そのものも、いわば変革のフォロワー形成の一幕。

今日は、北風と太陽の劇場型のワークショップで、共感と共振でフォロワー形成の演出をしたが、スタイルは様々でも、経営トップの圧倒的な情熱が何より重要だな、と心から思った次第。

「自分の幸せの定義は、自分で決める」 

古今東西、言われ続けてきた真理。人から羨望の眼差しで見られたとしても、自分に充足感がなければ、幸福感は感じられない。

人間だから、嫉妬やコンプレックスが成長意欲のドライバーというケースもあり得るが、それが充足感と結びついていなければ、達成時に虚無感がおしよせるだろう。 

自己実現のための成長意欲と、足るを知る謙虚さ。一見矛盾するように見えるが、自己定義できていれば、同居は可能。 

仕事やキャリアにも、家庭や恋愛にも、「正解」がない時代なのに、なんだか大量な情報に振り回されて「模範解答」をさがすことが悩みの源泉になってしまっている人が多いような気がする。

 承認欲求の非常に強かった私は、これらすべて通ってきた道なんだけれど、「承認欲求からのある程度の解脱と自己肯定」ができると、とっても「自由」になる

 *** 

週末から連休にかけて、多様な世代や属性の方々と悩みについてお話をしていて、お悩みの元凶は上記の話にあるのでは?と思ったことが多かったので、あらためてアップしておく次第。 私も弱っていると、ついつい、承認欲求型に先祖返りしがちなんですけれどね…

役員合宿や次世代幹部研修などでリーダーシップについて議論するワークショップを企画/ファシリテーションする機会が多いのですが、参加者の多くは一つや二つ思い当たるリーダーシップ体験」を持っておられます。 

その体験を如何にその場で想起できるかー鍵穴の準備ーによって、新しく刺す鍵の刺激を「自分ゴト化」したリアルなリーダーシップの議論をできるのか、イベント時の一次しのぎの議論で終わらせるのか、の明暗が分かれます。 

ファシリテーターや企画屋としては、どのようにしたら参加者が「鍵穴」を準備した状態でそのセッションに臨めるか、をあらゆる角度から考え、事前課題のアナウンスや場の設定(しつらえ)を行います。 ファシリテーションにも勿論、重要な要素は沢山あるのですが、「セッションが始まる前の参加者のマインドセット整備で勝負はついている」ことを痛感することが最近多く、前始末の重要性を再認識している次第です。

今、優れたリーダーと思われる人たちの多くは、以下のような特徴を持っているなと思うことしばしば。

1) 原体験に裏打ちされた課題を解決したいという強い想い
2) 人に対する好奇心が旺盛でマメ
3) 自分の弱さもチャーミングさに変換し、人の力を借りるのが上手い、仲間が多い
4) 挑戦してみることのハードルが低く、アクションの一歩目が早い
5) 小さな失敗には凹まない胆力

例えば、昨日までご一緒した首長さん二人から今日携帯に御連絡いただく、といったアクションの早さとマメさ。


もちろん、リーダーにはいろいろなタイプが存在し、環境によって「優れた」の定義も変わってくる。今、この環境変化の速い×複雑性の高い時代、

a) 一人の力でなく、組織内外の力をうまくレバレッジするリーダーシップ
b) 高い共感力でフォロワーを量産するリーダーシップ
c) 実行して事例を見せながら進めるしたたかなリーダーシップ 

が求められているからだろうなぁ、と強く思う次第。私自身は、凹みやすいので胆力を鍛えたいところです。

 

講義や講演をしていると「もっと上手に質問すれば良いのに残念」と痛感することが多い。質問の内容はいいのに、質問方法が残念という場合が圧倒的に多い。
 
ダメな質問あるある、としては以下の5つのパターン
  1. 自分アピール:自分は前職が講演者と同じ等、講演者との共通点をいいたいだけ
  2. 知識アピール:自分はこんなことも知っていますといいたいだけ
  3. 予習不足:それ、講演者の本や記事に書いてありますから、を質問
  4. 論理思考力不足A
    質問の構成がわかりにくくて、最後まで話を聞かないと質問が何か不明
  5. 論理思考力不足B
    質問のポイントをまとめてから話さないので、話しているうちに本人も何が質問かがわからなくなる。
    あるいはコメントなのか質問なのか不明

イベントにもよると思うが、通常の講演などでは、質問時間が10分程度というケースも多い。そこで

講演者にとっても、他の参加者にとっても貴重な時間をどう有効に使うか、という観点は欲しい所。
 
講演者としても「あ、その論点話し忘れていました」ということを質問していただけたりすると、とっても有意義で、私もよく良い質問に助けられていることがあるもの事実。
(時間の制約上、講演の中で「ちらみ」だけさせて質問を誘発する、という手もあります…)
 
講演者により良い答えを用意してもらうために、質問する際の私自身は以下のようなことを留意しています
  1. 最初に質問を述べ、質問の背景を手短かに説明する
  2. AとBなら自分は直観的にAを選ぶのに、なぜBを選んだのか、という理由や背景を問う
    (多くのケースではこういう所にKSFが隠れている)
  3. 抽象度と具体度のバランスに留意する
せっかくの機会に質問せず「ホントはこういうこと聞きたかったんだよね〜」とかいう「あと出しじゃんけん」が一番かっこわるいですけれどね。

 

***
 
来週末のカンファレンスに参加するみなさん、ぜひご留意いただいて、参加者の総和にとって有意義なセッションになるよう意識したいですね
このリサーチ(CEOの業績とMBAの相関性)によれば、CEOに就任した年齢(50歳未満)と、就任した時期(1999年以前)の場合で、少しだけMBAホルダーの優位性が検証されたとのこと。
 
CEOの目利きにおいて、ひとつめの評価軸がMBAの有無ではないことは、誰の目にも既に明確だと思う。
 
それでも、2010年以降の経営環境がよりグローバル化し複雑化する中で、
  1. MBAの価値は下がっているのか
  2. MBAはより有効になっているのか、
なかなか興味深いディベートではある。
 
MBAホルダーの数は年々増加し、いまやコモディティー化している。
 
一方、HBSをはじめとする各ビジネススクールも、「ビジネススクールの提供価値」を見つめ直し、改革に改革を重ね、Knowing, Doing, Beingの3つの中で、より実践的なDoingと、普遍的なリーダーとしての人(経営観や人格)を育成するBeingに、より注力している。このような取り組みによって、今後のリサーチ結果はどうなっていくのだろうか。
 
私自身は、MBAで学ぶことが成功の条件だとは思っていない。
 
が、以下の3つの条件が揃えば、MBAでの学びはCEOとしての成功確率に寄与するのではないかと思っている次第。
  1. 高い当事者としてのマインドセットで学び
  2. 卒業後に修羅場環境でMBAを活かす深い経験をする
  3. 修羅場経験からMBAの限界を知り学び続ける
***
 
蛇足ではありますが、この論文の共著者であるイバーラ教授のPower and Influenceという授業、HBSで受けた授業の中で3本の指に入る刺激的なクラスでした…
承認欲求の高い「優等生病」からどうやったら抜け出せますか?ってよく聞かれる。
 
私も長いこと(今も少し)この病気=「頭ではわかるけれど、やっぱり実際には人にどう思われるかが気になる」
だったので質問の趣旨は痛いほどわかるんですよね〜
 
ここから早めに脱却した人を見ていると、以下のようなタイプが存在している模様
  • そもそも自分の価値観や美意識のほうが人の評価より大事なタイプ
  • 天災や大病などで、自分(もしくは自分に非常に近しい人)の命が限りあるものであることをつきつけられ、気づいたタイプ
  • 自分の天職のようなものに(たまたま)巡り会えたタイプ
  • 仕事である程度の自信が持てて吹っ切れたタイプ
  • 家族や本当に親しい友人数名からの承認が揺るぎないものだと信じられるようになって、自己肯定ができるようになったタイプ
  • 育児との両立などで、すべてのことを完璧にするという時間的余裕を持てなくなったことで、やらないことを決めたものの、意外に大丈夫だということがわかって気づけたタイプ
* * *
 
大学生の就職ランキングが象徴しているように、多くの人が「すごいよね」というようなものは大抵ちょっと遅め
で、本当の旬を過ぎているケースが多いように思う。
 
万人に正解のキャリアなんて存在しない。
 
キャリアの早めに優等生病からの解脱をして、わがままではないけれど、自分らしい価値観をもとにしたキャリアを選ぶ人が増えるといいし、そうなっていくように働きかけていきたいなぁと思う次第。

ダイバーシティ推進の講演や議論をしていて痛感するのが、みなさんAND(あれもこれも)でなくOR(あれかこれか)の議論が好きということ。

結婚もして、育児もして、早朝に起きて仕事もがんばっているけれど、しなやかにみえる人

OR

独身で「オス化女子」と言われながらがんばっている人

「やっぱり後者はイタ過ぎてロールモデルにならないから、前者みたいな管理職を作りたい」とおっしゃる経営者や人事の方。それはそれでわかるのですが、私は「どちらもいて欲しい」、しかも、もっと多様な働き方や属性の人が管理職になった方がいいと思っています。
 
それこそが、ダイバーシティ=多様性ではないか、と…
 
企業経営のためには、仕事をしていく上での共通の価値観があることは必須だと思います。が、多様な視点が生まれるためにも属性や働き方の価値観はできるだけ多様なほうが良いのではないでしょうか。
 
業種にも勿論よるのですが、人材育成も「大量生産少品種」時代から「少量生産多品種」時代へとパラダイム転換しています。
 
***
 
そろそろ、自分と同じタイプの人部下や後輩しか引き上げない/認めない、っていう狭ーい根性を捨て、「あれもこれも」いても良いという「多様性の受容モデル」に変えませんか。
 
同じ属性や働き方の価値観の人ばかりって、夏野剛さんの言う「組織一斉食中毒」や、「○○ニュータウン」のような一挙に高齢化するベッドタウンのような組織の未来が待ち受けてしまうような気がするのですが…いかがでしょうか。
GW明け2日目にして、既に5社の経営者から同じ課題の相談。
 
「変革と持続的な成長に寄与できる次世代リーダーの育成」
 
とても「優秀な」次世代リーダーたちが、以下のような症状が強く、なんとか「一皮むけ」させられないか、というご相談。

1) 危機感のリアリティがなく、自分の頭でゼロベースで考える/アクションに結びつける力が弱い
2) 周囲の評価が極端に気になり、失敗を恐れ、リスクをとらない
3)「正解は何か」と「それに至る簡単な方法は何か」を知る事に熱心
4) やらない言い訳と、正解っぽい作文は上手
5) 部分最適への過剰適応で、経営者目線へとあげられない

簡単な処方箋はないのだけれど、結局の所、(リアル、疑似の)修羅場に投入して、恥をかかせ、やばいと気づかせ、脳に汗かきながら何とか自分なりに問題をクリアする、という経験を通じて、「ビジネスの心肺機能」
(熟慮する力と瞬発力と折れない心)を獲得してもらう、ということに尽きるのではないかと思う。
 
少人数の経営者候補には、経営トップが見守りながら上記を体験させることが有効だろう。
 
問題は、もう少し広いセグメントの経営者予備軍の母集団に対し、「疑似の修羅場体験」をどう提供し、揺らぎを体験させられるか、だ。
 
いろいろ工夫して効果が感じられる方法は出てきたけれど、参加者が「黒魔術」的な「目鱗」な体験と体感を得られる術は、まだまだだな…

「いつか一緒に働きたいですね〜」

クライアント経営者には、必ずお伝えしている必勝法。

尊敬できる人から、こう言われて嬉しくない人はいない。今やっている仕事から抜けられない等、タイミングが合わないということもよくある。この魔法の言葉は、頭に残りやすい。

キャリアの節目で「そういえば」と想起されて「結果として一緒に働くことに繋がった」という成功事例は、とても多いのです。秘伝のタレのひとつ。

ダイバーシティ推進とは、企業文化変革なんだなぁ、と思う。
(男女共同参画担当の森まさこ大臣とG1サミットのダイバーシティ・イニシアチブのメンバーと)
 
意思決定に多様性を持ち込むこと、多様性を受容すること、の「必要性と恩恵」を感じられるようなメッセージ、経営トップの哲学」がないと、今までのやり方をゼロベースで見直したり、抵抗の阻害要因を排除したり、ということが難しい。
 
総論賛成各論反対、やらない理由のオンパレードなど、変革抵抗要因は続々と出現する。制度をつくるだけでは、運用で頓挫する。ましてや働き方や家族観などの価値観の議論になれば、平行線的な神学論争へと発展してしまう。
 
そこに「それでもやるんだ」といった経営の意思と、遠くにある小さな光と、「やればできるじゃん」という事例の積み重ね、のどれもが必要なんだろう、と思う。
東洋経済オンラインの連載「女性はどうすれば出世できるのか?」の第2回は、

「みんなに好かれたい病」の呪縛から解脱せよ

女性の場合「ありがとうと言われるのが一番嬉しい」「気が利く良い人と思われたい」という人が多く、器用貧乏的に仕事をこなし、気がついたら30代半ば。その頃にはもっと仕事を依頼しやすい後輩女子も増え、その立ち位置では勝負できなくなった。30代半ばにして初めて「私は何の仕事に向いているんだろう」とキャリア迷子になってしまう…という人も多いようです。
 
私の場合、20代は「承認欲求病」とも言える症状がとても重症で、それはハーバードMBAを修了しマッキンゼーにいる時すら続いていたと思います。
 
仕事意欲の高い女性の部下や後輩からの相談の中でも、最多出場の「女性が陥りやすい罠」なのではないかと思い、かなり「イタイ」感じの自分の経験を吐露してみました。
 
***
 
活躍し続ける女性を育てたいと思っているリーダーのみなさん、活躍し続ける女性になりたいと思っている妹軍団のみなさん、等にお読みいただければ嬉しいです。

東洋経済オンライン「新世代リーダーの条件」シリーズの後編 が掲載されました。

前編には「バッターボックスに立つ(実践の経験を通じてのリーダーとしての実行力や人間力の習得)重要性」をお伝えしました。後編では「リーダーになるための機会の獲得方法」についてお伝えしています。

ぜひ、ご覧ください。

MBA的経営知識や論理思考力の習得も、また生涯是学び、も必要だと思っています。が、「学びという手段が目的化している」人が急増していることが気になります。勉強というわかりやすい努力をしていることで「安心」してしまっているタイプ。
 
「人に動いてもらう方法」「意思決定の痺れる経験」など、実践での経験からしか習得できないことも多いのではないかと思います。キャリアの早めから前倒しでバッターボックス(修羅場)に立つことのススメです。経営が「わかる→できる」ための実践のススメと人間力の高め方をお伝えしています。
 
***
 
ヘッドハンターとして数千人のリーダーを拝見してきた知見と、リーダーシップの教授としてお教えしていること、双方の観点から書かせていただきました。ぜひご覧ください。
 
尚、後編の第2回は1月28日(月)に「実践の場の獲得法」について掲載予定です。

東洋経済オンラインで連載『女性はなぜ出世すべきなのか?』が始まりました!

私はビジネスの優先順位は「プロフェッショナリズム>男女差」だと思っています。ただ、女性管理職の量が圧倒的に不足している為、私も含めた女性は「オヤジ社会の掟」を「存在すら知らず」に地雷を踏み、損をしている/機会を逸していることが多いようです。
 
生涯現役で自分らしく仕事するために、知っておくべきことは何なのか」…。
 
もっとキャリアの早い時期に知っておきたかったことを、私の失敗談などリアルな事例を使いつつお伝えできればと思っています。豊富な知見をお持ちのメンターの方々にも「対談」の形でご登壇いただく予定です。
 
***
 
ビジネスリーダーを目指す女性、女性管理職や部下を育成したい経営者、パートナーと共に成長したい男性
等々の皆様にお読みいただければ幸いです。

ある講演のために「人生の断捨離リスト」を作成中。

  1. 欲しいもの、人生で達成したいこと
  2. 捨てられるもの、あきらめられること
  3. 大事にしたいもの、譲れないこと
書き出してみると、10年前に書いただろうと思われることと、まったく違っていて興味深い。

 

まだまだ修行中の部分も多いので、1と2はこれからも変化し続けると思う。が、3は今後はあまり変わらないだろう。
「優等生的自分」の呪縛から解脱して「自由」になったことの影響が大きいかも…

代表プロフィール

2005011ProNova岡島悦子ver2.jpg

岡島悦子(おかじまえつこ)

プロノバ 代表取締社長/
ユーグレナ 取締役CHRO

経営チーム強化コンサルタント、ヘッドハンター、リーダー育成のプロ。
「日本に"経営のプロ"を増やす」ことをミッションに、経営のプロが育つ機会(場)を創出し続けている。

最新トラックバック一覧